Droidはiphoneキラーとなりうるか。 [雑記]

答えはNoだ。頭が沸いた視野激狭のガジェットオタクどもは単純なことが理解できていない。お前が好むものを、一般コンシューマ層が好む確率はそう高くないということだ。

彼らは、Doroidの優位性をこうぶち上げる。解像度が高い液晶、交換可能なバッテリー、速度が速い回線、QWERTYキーボード、5Mカメラ・・・。

しかし考えてほしい。もしもiphone3GSのプロセッサが据え置きだったとして、売り上げはそう変わったであろうか?NOKIAN97の液晶がWVGAで、プロセッサの性能が高かったとして、売り上げは爆発的に伸びたであろうか?
なぜiPhoneが売れたかということをわかっていないから、このような阿呆の袋小路に迷い込む。多少のスペックの大小が大衆に訴えかけるものは、ほんの僅かだ。ではなぜ大衆はiphoneに飛びついたのか?簡単だ。革命的なUIのパラダイムシフト。おまけのモバイル機としては画期的なウェブブラウジング性能。とどめの、ipodに裏づけされたappleの絶大なブランド力。これがすべてだ。iphoneが3Gで売れたのはアプリが大量にインストールできるようになったからではなくて、回線速度が増大したからであるし、3GSの成功は単純に時間がもたらしたものであると私は考える。(もし3GSを発表しなくとも、売り上げは順調に伸びたであろう。)
すなわち、ムーブメントは大衆には遅れてやってくる。だからこそ、私はpalmWEBOSが成功したか失敗したかについてもうしたり顔で語るアホバカクソアナリストどもに原爆を落としたくなるし、androidはもう軌道に乗ったという意見にも懐疑的だ。それがわかるには、後最低1年は待たなくてはならない。

そしてこの、なぜiphoneは成功したかということに対する問いに気づかないのならば、対抗者はおろかアップルすらも(ありえないが)進化の袋小路に迷い込むのは間違いない。オタクのお遊びを抜けて爆発的なムーブメントに持っていくには、大衆の力を借りなければならないが、彼らはオタクと違ってきまぐれで、つまみ食いの名人だ。進化のプロセスなんぞに興味はないし、着実な進化なぞ関心の埒外だ。求めているものはただひとつ、革命的なパラダイムシフトだけで、なおかつそれがニーズを着実に満たしていなければならない。

そして今、それはマルチタスク(より正確に言えばタスクの一覧性とシームレスなそれの切り替えだ。)であると私は考える。すなわち大衆が最終的に求めるのは、携帯が、まるでPCと同じように使えるようになることだからだ。そしてこれは操作方法がPCと同じであるということにはもちろん当てはまらない。むしろそれはまったく別なものでありながら、脳の回路がほぼ同じようにして動かせる、自然的なUIであることが望まれる。
そして残念ながら、androidは少なくとも1.6ではそれに遠く及んでおらず、(つまり、2.0ではもしかしたらいけるかもしれないということだ。)対抗馬にぼろ負けであった。しかしiphoneにはマルチタスクは実装されておらず、すなわちここにより賢い、スマートなUIを実装することができれば、そのフォルムにもよる(Doroidはここでも失格だ)が、ある程度の大衆の支持を集めることは可能かもしれない。時間はかかるであろうが。

結局のところ、彼らはiphoneのUIを誉めそやすくせにそのUIの大切さをこれっぽちも理解していない。そしてそのUIの弱点がどこかもろくに把握していない。だから彼らは場当たり的なリッチオープンソースOSが搭載されていれば、あとはスペック競争だけに終わると思い込む。ばかばかしい。

最終的に意味を持つのはパッケージングの勝利なのだ。そしてそれはUI、デザイン、操作性。それに帰結する。スペックではない。
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